河内洋氏とは
河内洋氏は1974年~2001年まで活躍したJRAのトップジョッキーで現在は調教師として活躍されています。
引退時点では当時歴代2位のG1勝利数22を誇り歴史に名を残した名騎手です。
コンビを組んだ馬の一例を挙げると、
- アグネスレディー
- オグリキャップ
- メジロブライト
- ニシノフラワー
- アグネスタキオン
などがいて、30代以上の方であれば、覚えている方も多いのではないでしょうか?
業界関係者からの評価が高かった
河内洋元騎手は、正攻法でフェアプレーの騎乗をすることで有名でした。
その騎乗スタイルやポリシーは引退時のコメントが全てを物語っています。
最後まで、人に納得してもらえる騎乗を心掛けたつもり。この人が乗って負けたらしょうがない、という単純なものでなく、こういう競馬をしてくれても負けたんだから、しょうがないか、と納得してもらえる騎乗。それに近いものはできたように思う
このコメントに多くの競馬ファンと騎手、調教師、馬主などの業界関係者が納得をしたでしょう。
模範騎手賞の受賞歴もあり、常に最善に近いポジションを取っているけど、決してラフな乗り方はせずに馬とレースをコントロールしていることで有名でした。
当時ライバルだった騎手からも評価が高くて、河内騎手をお手本にしていた騎手も多かったです。
一例を紹介すると武豊や安藤勝己騎手も河内騎手を尊敬していることで有名でした。
苦労人でもある
伝説のジョッキーなどと評されることもあり、順風満帆の現役生活というイメージを持たれがちですが、経歴を見てみると苦労している面も多数あります。
もちろんセンスは高くデビュー当初から活躍はしていたのですが、JRAの中でも特別扱いされる日本ダービーを制したのは45歳の時のアグネスフライトで25年以上のキャリアを積んで初めての栄冠でした。
デビューするまでの過程も中学卒業後に武田厩舎に入門し、その後騎手免許試験で規定体重を2年続けて超過してしまいます。あらためて馬事公苑の短期騎手課程を経て、ほかの同期に遅れて19歳で騎手デビューをしています。
得意だった馬
騎乗能力の高さは、周囲のトップジョッキーからも一目置かれるほどで、どんな馬でも器用に乗りこなす能力を持っていました。
現役かつ歴代最強とも言われる武豊も若手のころに自身が抑えきれなかった馬をいとも簡単に乗りこなす河内の姿を見て考え方が変わったと言われています。
後に成功した際には「兄弟子に河内さんがいなかったら天狗になっていたと思う」と言わせたほどです。
それでも長いキャリアの中では、得意とする馬がいたのも確かです。
昭和61年にはメジロラモーヌで史上初となる桜花賞、オークス、エリザベス女王杯の牝馬3冠を達成。
その後もアグネスフローラ、ダイイチルビー、ニシノフラワーで牝馬のG1を制し「牝馬の河内」と呼ばれていた時代もありました。
牝馬の中でも切れ味の鋭い馬の騎乗を得意にしていました。
牝馬はデリケートで、切れ味を活かすには我慢をしてギリギリまで足を溜め込むテクニックが必要です。
パワーやスピードに任せても勝てる牡馬とは違い、一番乗りこなすのが難しいタイプでもあったことから、本人も「牝馬の河内」というニックネームを気に入っていて、牝馬の乗り方を語る機会も多いなど自負している面もありました。
調教師としても活躍中
河内厩舎の調教師として現在も最前線で活躍しています。
2008年の関屋記念をマルカシェンクで制し調教師としての頭角も現し始めて2017年にはプラチナムバレットで京都新聞杯を制覇。ダービーの有力馬としても期待されましたが骨折によって長期放牧が与儀なくされました。
それでもまだ若い馬で素質も高いので、今後もG1制覇の期待がかかる注目馬を現在は管理しています。
もともと真面目な正確で、馬の正確や状態を見極めて最善の騎乗を行うのが得意な方だったので調教師としての適正が高いのは明らかです。今後も調教師として今まで以上に大きな活躍を期待できるでしょう。
河内洋氏の調教した馬を買いたい方はまず競馬情報サイトなどで情報収集してみるのもいいでしょう。