2001年には皐月賞を制して史上5人目のクラシック完全制覇を達成しました。

騎手時代-円熟期

河内洋氏は騎手時代にデビュー直後から活躍をして、6年目には全国リーディングジョッキーを獲得するまでに成長しました。新人時代の活躍は騎手時代-新人期ページをご覧ください。

 

ここでは、その後の円熟期の引退までの活躍を紹介しています。

 

 

80年代の活躍

80年代には合計3度リーディングジョッキーを獲得しました。
その間にも1981年にはカツラノハイセイコで天皇賞・春を制覇、1982年はヒカリデュールで有馬記念、1983年はロンググレイスでエリザベス女王杯と毎年のように大競走を制しています。
80年代には中央競馬が短距離路線を新設し、最初のスターホースとして登場したのが有名なニホンピロウイナー(通算26戦16勝)です。
河内元騎手はニホンピロウイナーとコンビを組んでG1を3勝、重賞7勝を含む、騎乗成績15戦11勝と抜群の相性の良さを見せます。

 

レースのイメージ

さらに1986年にはメジロラモーヌで史上初の牝馬3冠(桜花賞、オークス、エリザベス女王杯)を達成。
ニホンピロウイナーとメジロラモーヌの2頭で騎手としての名声をさらにあげて、長いキャリアの中でも80年代がピークでした。

 

1988年には地方競馬出身のオグリキャップで重賞6勝をあげ、通算1,000勝の史上最年少記録を更新。
86年、87年にはそれぞれ、年間重賞勝利記録を打ち立てています。
この頃は歴代最強騎手とも言える存在感を放っていました。

 

 

90年代の活躍

1990年にアグネスレディーの娘のアグネスフローラで桜花賞を制覇
91年から92年はダイイチルビーとニシノフラワーで計4つの重賞を制覇するなど、トップジョッキーとして活躍を続けます。

 

しかし90年代に入ると弟弟子の武豊がトップジョッキーの地位を占め、河内は関西の2、3番手が定位置になります。
それまで河内が持っていた通算1,000勝の年間最多記録や年間重賞勝利数も武豊に更新され、実質の世代交代が起こった時代でもありました。それでもベテラン騎手として高い安定性は健在でした。

 

 

2000年代

2000年には、アグネスレディーの孫でアグネスフローラの息子にあたるアグネスフライトで日本ダービーを制覇
武豊が騎乗する皐月賞優勝馬のエアシャカールとの競り合いを制す歴史に名を残す戦いを制し、デビュー26年目でダービージョッキーになります。

 

また、母仔三代によるクラシック制覇は、中央競馬史上初の記録でした。
翌年にはアグネスタキオンで皐月賞を制して史上5人目のクラシック完全制覇を達成。

 

年齢面で引退時期が近づいていましたが、キャリアの終盤で足りていなかった栄冠を取ったのも勝負強さが伺えます。

 

2003年には、調教師免許試験合格をきっかけに引退を決意
引退日にも5勝をあげて、ファンからは「調教師になっても乗ってくれ」、「どこも悪くないのにやめるな」など引退を惜しむ声が寄せられました。