新人らしからぬ安定ぶりと評され、高い水準で安定した成績を積み重ねていきました。

騎手時代-新人期

騎手免許試験の体重超過を2年連続でしてしまいデビューは19歳となりましたが、新人時代から抜群のセンスを見せて結果を出します。

 

デビュー後はホースメンレディで初騎乗・初勝利を達成。
新人ながら関西7位(全国18位)の26勝を挙げ新人賞、優秀騎手賞を受賞。

 

勝利のイメージ画像

ちなみにトップジョッキーは1年目から活躍をする傾向があります。
武豊騎手の場合1年目は69勝で当時の新人最多記録でした。
その後、天才ジョッキーとも騒がれた三浦皇成騎手が91勝をあげて武豊の新人記録を更新しました。

 

ただ、武豊や三浦皇成のようなエージェントが強い騎手は強い馬に乗せるように調整していた時代とは違うため、河内洋騎手の1974年に厩舎に所属しながら残した26勝は現代の数字以上に高く評価できます。

 

2年目にはロッコーイチで小倉大賞典を制し重賞初勝利。

その後も新人らしからぬ安定ぶりと評され、高い水準で安定した成績を積み重ねていきます。
長いキャリアの中でスランプが少なかったのも河内洋騎手の特徴の一つです。

 

6年目の1979年にはアグネスレディーで優駿牝馬(オークス)を制し、八大競走初制覇を果たします。

ちなみに、河内騎手=アグネス系の御用達といったイメージを持たれていますが、アグネスレディーに乗ってオークスを制した縁で、その後にアグネスレディーの子孫への騎乗が増えて多くのタイトルを獲得した経緯があります。
アグネスレディーも当時は珍しいベテラン騎手から若手への乗り替わりがあり、ジョッキー人生でも大きな出会いになった馬です。本人もアグネスレディーに乗っていなかったら、成功はなかったかもしれないと語っているほどです。
さらにこの年11月にはハシハーミットで菊花賞も制します。

 

翌1980年には年間72勝で、全国リーディングジョッキーを獲得。

25歳にしてJRAのトップジョッキーへと昇り詰めます。

 

 

武邦彦氏に可愛がられていた

競馬学校がない時代で、中学卒業後は武田作十郎厩舎へ入門し騎手免許取得した経緯がありました。
武田厩舎で免許を取ってまもないころに、当時関西では初の年間100勝を達成するなどトップジョッキーでもあった武邦彦が武田厩舎へ移籍し、河内の兄弟子格になります。

 

武邦彦元騎手も河内の才能を認め、周囲からも羨ましがられるほど可愛がられて指導をしてもらったとされています。
河内元騎手本人も、付きっきりで見ていられたことが大きな成長になったと発言しています。

 

また、武田厩舎に入門するときも、兄と2人で行ったところ、2人は受け入れられないと言われ、当時は兄が地方競馬の騎手免許試験を受けていたため弟の洋が入門する経緯もありました。
いろいろと運がよく巡り合わせの良さも後の大成功へとつながっていきます。

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