気性が荒い馬の扱い方を学べたカツラノハイセイコーは師匠のような馬と語っています。

河内洋氏の人柄

河内洋元ジョッキーは人柄が良いと評判で数々の逸話があります。
人柄はメディアに対してはシャイだけど、関係者に対しては気さくに接して特に後輩の面倒見が良いことで評判でした。ジョッキーインタビューではマイクでも聞き取れないほどボソボソとしゃべりますが、その雰囲気から職人と呼ばれることもありました。

 

感情をあまり表に出さず、常に冷静さを保っていて、騎乗成績の安定感もブレない性格が影響していたのでしょう。
ただし2000年に日本ダービーを初めて制したときは、感情を表に出して大きなガッツポーズをとっていました。

2000年東京ダービー

 

真面目で理屈っぽい性格で常にどうすれば最善の騎乗ができるか考えていて、その結果、ほかの騎手では操るのが難しいと言われたアグネス一族とも抜群の相性を見せていました。

 

 

河内洋氏の逸話

現役騎手時代から調教師になった現在まで数々の逸話を持っています。
その中でも有名な話や心温まるエピソードをまとめました。

 

カツラノハイセイコは師匠のような馬

1980年に全国リーディングジョッキーを初めて獲得して、その翌年の天皇賞春を制したのがカツラノハイセイコです。
すでにトップジョッキーに登り詰めた時期ではありましたが、気分屋で乗りこなすことに非常に苦労をしていたようです。
結果的に試行錯誤を繰り返して長い距離の折り合いをつけないといけない天皇賞・春を制したのは大きな自信になるとともに、気性が荒い馬の扱い方を学べたようです。
河内氏のカツラノハイセイコが師匠のような馬だと、ベテランになってからも頻繁に口にしています。

 

 

マスコミ嫌い

マスコミ

普段は明るく面倒見が良い性格ですが、大のマスコミ嫌いでインタビューもボソボソとしゃべる性格でした。

 

日頃から取材を受けるのが嫌いで、栗東トレーニングセンターではマスコミを避けるために、いつも調理場にいたそうです。

 

 

メジロブライトの乗り替わりで激変

菊花賞まで松永幹夫騎手が騎乗していたメジロブライトは高い素質を評価されつつも勝ちきれないレースが続いていました。直線で必死に騎手が動いても馬が反応せず力を出しきれない状況でした。
菊花賞後のステイヤーズステークスで主戦騎手の松永騎手がワールドジョッキーズシリーズに出るために河内騎手へ乗り替わりしたところ、あっさり言うことを聞いて大差勝ち。
その後もメジロブライトの騎乗を続け翌年の天皇賞春も制しました。